このページは 2006/ 12/ 21 20時58分49秒にクロールしたキャッシュ情報です。
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[ 29] 引用元 無題ドキュメント
URL: http://www.nhk.or.jp/t-shinseiki/back/syoku80.html
10年前から丸いも栽培を始めた若手の代表格。地元でしか作れない丸いも作りに誇りを持っている。「周りの人に育てられてここまでやってこられた。一人だったら、こんな丸いもは作れなかったと思います。」 根上町では、およそ20ヘクタールの土地で加賀丸いもの栽培を行っている。大正時代から始まった丸いも栽培だったが、当時はデコボコな形だったという。いもが丸く生まれ変わったのは、昭和9年に起こった町を流れる手取川の大氾濫がきっかけ。一部地域に川砂が流れ込み、砂と粘土がほどよく混ざり合った土地が今の丸い形を生み出した。さらに、昭和40年代後半からは40cmという高い畝作りが始まった。水はけをよくして、いもに水分がたまらないようにすることで粘りをより強くしようという工夫だ。こうして、土地ならではの作物として名を馳せてきた加賀丸いもだが、生産農家たちは高齢化し、産地としていかに安定供給していくかという議論が取り沙汰され始めている。 まるまる育った根上町の加賀丸いも。とろろにすると本当に粘りが強い!摺り下ろしても、なかなかおろし金から離れず一苦労。でも食べてしまえば粘りは心地よい喉ごしに変わり、さっぱりとした味とコクがいつまでも口の中に残ります。昭和9年に起きた手取川の氾濫という逆境が、丸いもに”丸さ”を与えた。高さ40cmまで達した畝上げに見える根上町の生産者自らの”粘り強さ”が、最高級の”粘り”をもたらした。今は若い生産者の不足という、新たな逆境に立たされている加賀丸いも。若い仲間を増やそうと奮闘中の丸いも農家・岡元豊さんには、逆境を実りに変える根上町のパワーを今一度見せて欲しい!そう期待させてくれる、とても真剣に丸いもを愛している方でした。 大正時代から始まった丸いも栽培。当時はデコボコな形だったという。現在のように丸くなったのは、昭和9年に起こった町を流れる手取川の大氾濫がきっかけ。町の一部に川砂が流れ込み、砂と粘土が混ざり合った土質ができあがった。以来、形の丸いいもが収穫されるようになった。 丸いもの粘りは、含まれる水分が少ないほど強くなる。根上町では昭和40年代後から、40cmという高い畝作りを行って、水はけをよくする工夫を行っている。雨などが降っても、水は畝の下や脇の方にどんどん流れ、いもに余分な水がたまらないようになっている。その結果 去年収穫した丸いもは形、粘りとも満足のいく出来だったという岡元さん。今年も同じ方法で栽培したところ、夏の予想外の日照り続きで、全体的に小ぶりな丸いもになってしまった。ベテラン農家たちは「天気によって臨機応変に対応しないとダメ」と岡元さんにアドバイスを送る。 収穫のさなか、岡元さんは来年丸いも畑にする予定の田んぼを訪れた。毎年、秋に行う畝作りのタイミングをはかるためだ。この時期に畝を作り、ひと冬風雪にさらすことでしまったいい土になるのだという。大切なのは、畝を作るとき、どれだけ土に水分が含まれているかという点。岡元さんは、ベテランから教わった泥団子を作る方法で丹念に土を調べていた。「丸いも作りは毎年が1年生。次こそはいいものを作りたいという気持ちを持ち続けられる作物です」と岡元さんは話す。 元検事。ロッキード事件で検事を務め、田中角栄元首相に論告求刑をする。現在は、さわやか福祉財団理事長として、全国に“ふれあい”のボランティアを広める活動を行っている。著作も多い。 自分で出来ることは自分でやる。でも、出来ないときには「助けて」と言えることが大切。岡元さんと周りのベテランたちとの間には、こうした助け合いの関係ができていると感じました。いい地域というのはこういう関係を築けるところだと思います。
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