このページは 2006/ 12/ 21 20時58分49秒にクロールしたキャッシュ情報です。
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[ 13] 引用元 お正月の始まり
URL: http://astro.ysc.go.jp/izumo/shogatu.html
●ヨーロッパの新年の始まり ヨーロッパの新年の始まり ヨーロッパの暦は古代ローマ帝国の暦が元になっている。その古代ローマ暦は メソポタミア暦の影響を受けていると考えられる。というわけで、 ヨーロッパの暦の起源は古代メソポタミアである....と言われることが しかし調べてみると、ギリシャ暦は夏至から始まり、メソポタミア諸国伝統の 春分年初をとっていない。ローマの暦は春分年初なのだが、メソポタミアものが ギリシャをとびこしローマに直接伝わるとは考えにくいような気もする。 しかし一週間が7日という特殊な節はメソポタミア産であり、早期にヨーロッパに伝わっていた ので、やはり暦もメソポタミア起源なのかもしれない。 惑星の名前や角度が1周360度など、皆メソポタミアから伝わったものというのは有名な話だ。 紀元前18世紀ごろの古代バビロニア王国では、1年は春分の日(3/21頃) 近くの新月の日で始まった。春分の日はおひつじ座のある星が太陽と同時にのぼる のを観測して調べたとされる。 月は陰暦、1年はだいたい太陽暦の太陰太陽暦なので、うるう月をときどき 入れて1年が12ヶ月だったり13ヶ月だったりする。 紀元前7世紀頃のカルデア(新バビロニア)王国では、天文学がさかんで 19年7閏法という太陰太陽暦が使われた。19年間に7個のうるう月を入れると、 うまく月の満ち欠けと年始が19年ごとにほぼぴたりと合う。 新年はおなじく春分の日近くに新月の日である。 古代ローマでは紀元前8世紀ごろ、ロムルス暦が使われ始めたと言われる。 月の満ち欠けを基準とした太陰暦で1年が約304日、冬の間2ヶ月は日付がないへんな暦であった。新年は春の適当な新月の日となっているアバウトな暦であった。 冬の2ヶ月もヤヌアリウス、フェブラリウスとして暦の最後にいれたユマ歴が紀元前710年にできた。ただし月の満ち欠け12回で1年としたので1年=355日だった。 ユマ歴でも年初は春分の日近くの新月の日だった。 しかし、1年355日では実際の1年とずれるので、しばらくしてうるう月が ときどき入れられるようになった。 ローマでは年末(フェブラリウスの月)の23日に1年のしめくくりの 祭り「テルミナリア」を行う。閏月は2月23日の直後に1ヶ月入れられた。 このとき1年の始めがローマ政府により1月 (ヤヌアリウスの月)に変更された。ヤヌアリウムスの月の神ヤヌスはえらいので、 ヤヌアリウスの始まりを1年とする、としたらしい。 紀元前46年、有名なシーザーによるユリウス歴が制定された。 。4年に1日うるう日をいれることにより1年は365.25日となり、年初は1月と改めて指定された(このころもまだ、 古い習慣で3月も正月のように祝っていた)。これはもう月の満ち欠け に関係なく、1年を12ヶ月と定めていた。 さて、この時点では、旧新年の始まりは春分の日=今の3月21日頃であった。 ユリウス暦の新年はその2ヶ月前=今の1月21日前後になりそうである。 これがいかにして今の1月1日までずれこんだのか? 古代のローマでは、太陽の高度が最も低くなる冬至を太陽の復活として 冬至祭を行い、盛大に祝っていた。農耕民族の祭りといえる。 さらに、ユリウス暦制定のころ、ローマではミトラ教が最大派閥で あった。ミトラ教では、主神の太陽の神ミトラが冬至に死んで、 その3日後に復活(3日後ではなく冬至の当日に復活するという文献もある)することになっていた。 そのミトラ復活の日12月25日は、冬至祭と重なり、 ローマあげての祭りであった。 その後起源1〜4世紀の間にキリスト教がミトラ教にとってかわるが、 そのときミトラ教の祭日12/25も、キリスト教の祭日=キリスト生誕の日 として受け継がれた。正式には325年のニケア公会議で12/25が クリスマスと採用された。実際のキリスト生誕の日がよくわからないせいも あった。これがクリスマスの起源である。 詳しい話は、クリスマスの由来というページをごらんください。 西暦(AD)では、この キリスト割礼の日を1月1日に採用したのである。 この1月1日の決め方は、東ローマ帝国の修道院長デュオニシオスの525年の著書に、初めて登場する。デュオニシオスは数学と天文学に詳しく、東ローマ帝国では そのような彼の提案する暦(=西暦)を採用することにしたようだ。 このおふれが出たとき(西暦532年か?)以来、ヨーロッパの公式暦は1月1日から始まるのである。この現在の 年初を「割礼年初」という。 ただし、この割礼年初(今の1月1日)がヨーロッパ全土に広まるには 数世紀を要したとされている。どうやら10世紀ごろにやっとヨーロッパの 年初は統一されたらしい。 じゃそれまではどうなっていたかというと、ローマ紀元とよばれる ディオクレティアヌス紀元や、キリスト受難の年をから数えた紀元、また 年初も春分年初だったり、色々な西暦が使用されていたのだ。 では中国では1年の始まりはどうだったのであろう。 夏王朝(存在自体が怪しい)では立春頃が正月、いん(商)王朝では 冬至を含む月の翌月が年初で、周では冬至のある月が年初であったとする 伝説がある。 周以降、古代〜前漢の時代まで冬至(12/22頃)のある月が正月であった。 やはり農耕民族なので、冬至は太陽が復活する大事な日なのだ。 暦は太陰太陽暦で、うるう月を入れて太陽暦と月の満ち欠けをあわせていた。 紀元前5世紀頃には19年7閏法が確立された。 時がすぎて後漢の時代、24節気の立春(2/4ごろ)の月が正月となった。 冬至や春分、夏至、立冬など の太陽の星座上の位置から定めるの日を24節気というが、その中の1つ 太陽の黄経が315度になる日が立春である。24節気は、月の満ち欠けには何ら関係 しない、正確に季節をあらわす指標として前漢の頃に中国で作られた。 どうやら気温が最も低くなる立春頃こそ、太陽の復活と考えたらしい。 西暦1世紀、1年=265.25日とする太陰太陽暦の四分暦が採用 された。あくまで太陰太陽暦で、月は月の満ち欠けどおりに入れたので 1年が12ヶ月と13ヶ月の年があった。 後漢からはじまった立春正月と太陰太陽暦は、以降20世紀まで 中国の各王朝で受け継がれた。 ただ中国は、王様=暦をつくる人、といったしきたりがあり、王様が代わるたびに暦が新しくなった。中国では元旦に日食があるかないかなどの天文現象が 政治に大きな影響を与えていたので、それがうまく予報できるよう、何度も 微修正が行われたのであろう。しかし数年ごとの改暦は民衆には不評で あったようで、元の時代にようやく新王による改暦はやめになった。 いよいよ、日本の新年はなぜ1月1日なのだろうか? 日本の項目は実はあっという間に終わってしまう。今は西暦が採用されて ヨーロッパの新年が使われている。昔はというと、初めて暦が 作られたのが推古天皇の604年、百済を通じて伝わった中国の元嘉暦 が採用されたのが始まり。それ以降江戸時代まで、中国の暦を だいたいそのまま使っていたので、中国と同じ太陰太陽暦で立春年初なのである。 つまり日本ではずうっと、 立春を含む月、あるいは立春の近くの新月の日が年初だったのである。 ◆日本で使われていた暦 ・弥生時代〜604年以前--不明だが、日本書紀の記録が歴史的事実になって くる5世紀以降は元嘉暦と考えられる。日本書紀の暦日も元嘉暦で計算したと 考えるとよく事実とあう。
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